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鎌倉

鎌倉の発掘調査で判明! 英国アンティーク博物館の土地が「北条小町邸」跡だった

若宮大路沿い「英国アンティーク博物館BAM鎌倉」の土地から、北条氏家紋(三つ鱗紋)の瓦などが発掘され、鎌倉幕府の第三代執権・北条泰時と第五代執権・時頼が住んでいた北条小町邸跡であることが判明しました。

株式会社ファーマブリッジが運営する「英国アンティーク博物館BAM鎌倉」(以下、当館)が建つこの土地が、発掘調査によって、北条泰時・時頼が住んでいた「北条小町邸」跡の家屋の一部であることが明らかになりました。
私たちがこの地に博物館を建てるにあたり、神奈川県教育委員会の指導・協力のもとで埋蔵文化財の発掘調査が実施され遺構や遺物が発見されました。3年がかりの精査の結果、この場所が北条家邸宅のひとつであったと裏付けられたのです。
北条泰時といえば、鎌倉幕府第3代執権で「御成敗式目」を制定した人物、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で坂口健太郎さんが演じました。そしてその孫、北条時頼は第5代執権であり建長寺を創建した。まさに鎌倉幕府の中核を担った親族が暮らした地に、今私たちの博物館があるというのは、運命的なものを感じずにはいられません。

※英国アンティーク博物館BAM鎌倉:建築家、隈研吾氏による鎌倉彫をモチーフにしたデザイン

発掘調査の詳細

BAM鎌倉の建設にあたり、埋蔵文化財包蔵地(※歴史的遺構が地下に存在する可能性がある土地)に該当するため、神奈川県教育委員会の指導に基づき発掘調査が行われました。
その結果、鎌倉時代の住居跡と考えられる遺構や遺物が発見され、この地がかつて有力御家人・北条氏の邸宅のひとつ、「北条小町邸(泰時・時頼)」であったと特定されました。
出土した瓦片や遺構の跡などから、邸宅の構造一部と推定されています。

「北条小町邸」とは?

「北条小町邸(ほうじょうこまちてい)」は、鎌倉幕府の中枢を担った北条氏が鎌倉・小町に構えた邸宅です。北条泰時は、鎌倉幕府第3代執権として御成敗式目(武家法)を制定し、幕府の制度的安定を築いた重要人物。その孫である北条時頼も、引き続き幕府の政治を支えた第5代執権で、執権政治の確立に大きく貢献しました。
小町邸は、そんな両者が暮らし、政治の舞台として機能した場所。つまりこの土地は、鎌倉の歴史の一端を体現している文化的価値を持つ場所なのです。

出土品の具体例:静かに語る、800年前の鎌倉時代の暮らし

発掘調査では、当時の生活をうかがわせる多くの遺物が出土しました。中でも注目されたのは、以下のような品々です。


・北条氏邸宅を繋ぐ土台角材:段葛を含む若宮大路に添う溝と邸宅を繋ぐ板橋を支える土台角材が発見されました。この角材には柱を支えるほぞ穴があり、南北に配置されています。

※BAM鎌倉の遺構発掘現場(撮影:2022年6月)

鎌倉時代の瓦片
北条氏の家紋である三つ鱗紋(みつうろこ)が刻印された瓦が発見されました。火に焼かれた堅牢な瓦は、当時としては高級建築に用いられていた証。格式ある邸宅であったことが伺えます。

※BAM鎌倉の遺構から発掘された瓦の一部、北条氏の家紋(三つ鱗紋)が刻印されている。

陶器の破片(青磁・白磁など)
日常の食器でありながら、当時の上級武士が使っていたとされる中国からの輸入品も含まれ、文化的な豊かさが垣間見えます。


・土器・漆器片・釘・石製品など
当時の上流の暮らしや祭事を支えた「かわらけ」など細やかな道具類が数多く発見されました。
これらの出土した遺物(瓦、墨書木製品、かわらけ、動物遺体など)は、鎌倉市教育委員会文化財課に、そして保存対象外であった土台角材は英国アンティーク博物館の茶室にて大切に保管されていますが、800年前の人々の息づかいを現代に伝えてくれています。

北条氏の秩序を築き、文化や信仰の礎を支える精神

英国アンティーク博物館BAM鎌倉では「時間を超えて受け継がれる美」という共通点に着目しています。アンティークというものは100年以上経過した人の創ったものという定義の下、歴史的文化財を保存・継承するという観点から時代を引き継ぐ展示を心がけています。

鎌倉時代、北条氏は日本の法と秩序を築き、文化や信仰の礎を支えました。そしてヨーロッパでは、同じ頃に中世キリスト教文化が花開き、やがて19世紀のヴィクトリア朝期に「保存と継承」の美意識が結晶化しました。

両者に共通するのは、時代を超えて人々の精神を形にしてきたモノたちを大切にしているという点です。

つまり、英国アンティークを通じて「時間の深み」を体験できるこの博物館は、北条氏の邸跡という場所にふさわしく――むしろ必然的に――この地に誕生したのかもしれません。

なぜ鎌倉に英国アンティーク博物館を建てたのか?

鎌倉と英国――実は、深い精神的なつながりが存在しています。

その象徴ともいえる出来事が、1964年に起きた「御谷騒動(おやつそうどう)」と呼ばれる市民運動です。

鶴岡八幡宮の裏山が宅地開発の危機にさらされたこの時、声を上げたのが、現在の英国アンティーク博物館のすぐ裏手に茶室を構えていた作家・大佛次郎さんでした。

彼は、自然と歴史的景観を守るために、英国発祥の「ナショナルトラスト」の理念のもと、鎌倉市や市民と共に立ち上がり、開発を止め、風致保存の道を切り開いたのです。

この出来事こそが、鎌倉のナショナルトラスト運動の出発点であり、鎌倉という町が「過去を未来に伝える文化都市」として歩み始めた象徴的な瞬間でした。

その意味で、時間を超えて愛されたモノ=アンティークを展示し、保存する英国アンティーク博物館が、まさにこの地に誕生したのは運命的とさえ言えるかもしれません。

かつて中世の武家政権の都だった鎌倉。

そこに生まれたナショナルトラストの精神。

そして、時を重ねる美を尊ぶ英国アンティーク。 これらはすべて、「大切なものを守り、未来へ伝える」という一本の軸でつながっているのです。

ナショナルトラストの理念とは?

〜“未来の人のために今、守る”という選択〜

ナショナルトラスト(National Trust)とは、歴史的建造物や自然景観など、人類の遺産を市民の力で守り伝える運動のことです。その発祥は19世紀末の英国――急速な工業化によって失われつつあった自然や歴史的な風景に対し、「今こそ立ち止まり、守るべきものを見つめ直そう」という動きから生まれました。最大の特徴は、国家ではなく民間の意志と手によって保護されることです。

寄付や会員制度を通じて、市民ひとりひとりが“未来のための所有者”となるという考え方は、まさに英国文化の成熟した市民社会の象徴ともいえるでしょう。 この理念は、大佛次郎によって鎌倉にもたらされ、御谷騒動のなかで「市民がまちの風景を守る」という日本初の実践へとつながりました。英国アンティーク博物館が今、鎌倉に存在するということは、単なる展示施設ではなく、文化と風景を守るナショナルトラストの精神を現代に伝える場でもあるのです。

BAM鎌倉に息づくナショナルトラスト精神

〜建築と展示の隅々に込められた「守る」意志〜

※BAM鎌倉の茶室から望む風景

英国アンティーク博物館BAM鎌倉は、ただの展示施設ではありません。

その建物自体が、“文化と風景を守り、未来に手渡す”というナショナルトラストの理念を体現しています。

その象徴ともいえるのが、最上階(4階)に設けられた立礼式の茶室です。

この茶室は、鎌倉の栄光学園で学んだ世界的建築家・隈研吾氏によって設計されたもので、日本建築の伝統と現代性、そして英国文化との融合が随所に見られます。壁面には、発掘調査で出土した北条小町邸の土台角材が展示され、歴史の“記憶”として空間に静かに語りかけてきます。さらに、茶室に設けられた掛け軸のような縦窓からは、鶴岡八幡宮の鳥居とその先に広がる御谷の自然を望むことができ、四季折々の景色が茶の湯の背景として現れるのです。床材には、なんと鎌倉時代と同時代の英国邸宅で使われていたオーク材を使用。まさに、時間と空間を超えて、日本と英国の美意識が交差する“文化の共演”が、このわずか一室に凝縮されています。

また、茶室には鎌倉風致保存会の活動紹介と共に募金箱が設置されており、来館者が自然保護に直接参加できる仕組みも整えられています。

この募金は、鎌倉の自然と風景を守るために寄付されており、BAM鎌倉が“観る場所”にとどまらず、“守る行動”のきっかけとなる場所であることを示しています。

BAM鎌倉の展示・建築・景観のすべてが、「文化を遺し、自然を敬い、未来につなぐ」というナショナルトラストの精神に貫かれているのです。

ここはまさに、英国と鎌倉の“守る文化”が出会う場所といえるでしょう。

茶室 「惹採庵」 ─ 日本と英国が響き合う、文化のかけ橋

※英国アンティーク博物館 BAM鎌倉の茶室

BAM鎌倉の最上階、ヴィクトリア時代のコレクションが並ぶ展示フロアの一角に、静かに佇む茶室があります。その名は、「惹採庵(じゃくさいあん)」。この名は、作家・中谷彰宏氏によって命名されました。

「惹採」とは、“惹きつけて採る”という意味を持ち、館長・土橋正臣が英国アンティークの魅力に惹かれ、古き良きものを現代へと引き継ぐ“かけ渡し”の場としての願いが込められています。

さらに、この名にはもう一つの意味があります。音読みの「じゃくさいあん」は、訓読みすると「びくとりあん(Victorian)」。この茶室が置かれた4階が、ヴィクトリア女王時代の英国アンティークを展示する空間であることを象徴すると同時に、日本の伝統文化と英国の歴史が、名前の中でも融合する言葉のコラボレーションがなされているのです。

この茶室のもうひとつの特徴は、その床に用いられた特別なオーク材にあります。材は、英国・プランタジネット朝時代のグリーンドラゴンホテルで実際に使われていた床材。これを、館長自らが英国現地で選定し、はるばる鎌倉へと運び込んだのです。

プランタジネット朝は、まさに日本でいう鎌倉時代と同時代。つまり、この小さな茶室の床には、遠く離れた時空を超えて、英国と鎌倉が“同時代の木”として響き合っているのです。

さらに、壁には北条小町邸跡の出土角材が設置され、長い眠りから目覚めた歴史の声が、静かに来訪者に語りかけます。

縦に切り取られた掛け軸風の窓からは、鶴岡八幡宮の鳥居と御谷の自然が望めるように設計されており、四季の移ろいが背景に流れる茶の湯の舞台をつくり出しています。

そしてこの茶室には、鎌倉の自然を守る「鎌倉風致保存会」への寄付を募る募金箱も設置。

訪れる人々が、この風景と歴史を“未来に手渡す”アクションに参加できるようになっているのです。

まさに惹採庵は、「守り、受け継ぎ、つなぐ」──ナショナルトラストの精神を体現した空間。それは、英国から来た文化と、鎌倉に息づく歴史が、見事に調和した、もうひとつの展示品とも言えるでしょう。

【文化財管理】

鎌倉市文化財課

【発掘調査委託】

株式会社ファーマブリッジ(代表取締役:土橋正臣、本社:〒247-0072 神奈川県鎌倉市岡本2-5-11)

【埋蔵文化財発掘調査】

株式会社斉藤建設(代表取締役:斎藤正明、本社:〒248-0027 神奈川県鎌倉市笛田1-10-1)

【発掘調査・出土品整理への指導、協力】

鎌倉市市教育委員会(玉林美男、鈴木弘太、米澤雅美、吉井理)

NPO法人かまくら考古学研究所(河野眞知郎、松吉大樹)

【記事の校閲】

NPO法人鎌倉ガイド協会・会員 / 鎌倉考古学研究所・賛助会員(岡田厚)

【出典】

・北条小町邸跡(泰時・時頼邸跡)発掘調査報告書(神奈川県鎌倉市 2025年3月発行)

 執筆・編集:NPO法人かまくら考古学研究所(齋木英雄)、斎藤建設(中川秦、降矢順子)

・隈研吾 鎌倉に「小さな英国アンティーク博物館」をつくる訳(成山堂書店、2022年9月発行)


 

【英国アンティーク博物館BAM鎌倉について】

「BAM鎌倉」は、日本初の英国アンティーク博物館として鎌倉の参道沿いにオープンしたミュージアム。シャーロック・ホームズの部屋を再現した展示室は、TV、新聞など数多くのメディアや海外のホームズ専門誌に取り上げられ、SNSでも話題になっています。館内では館長の土橋正臣が30年の歳月をかけて集めた100年以上の歴史を持つ本物の英国アンティークの展示があり、ジョージアン、ヴィクトリアなど時代ごとのアンティークを設えたフロアがあります。次世代にアンティークの世界を伝え、モノや人を引き継ぐ素晴らしさ、大切さを多くの方に感じ取ってもらいたいというメッセージが込めらており、世界的建築家、隈研吾が手掛けた鎌倉彫をモチーフにしたファザードが特徴的な外観となっています。

※BAM鎌倉:シャーロックホームズの部屋を再現

〇施設名称 : 英国アンティーク博物館BAM鎌倉

   (英語表記:BRITISH ANTIQUE MUSEUM KAMAKURA)

〇所在地  : 〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-11-4-1

〇アクセス : JR横須賀線 鎌倉駅 東口より徒歩7分、鶴岡八幡宮より徒歩1分

〇営業時間 : 10:00~17:00(16:30が最終入館)

〇休館日  : なし

※ 都合によりお休みする場合は、ホームページやSNSでお知らせいたします。

〇公式ホームページ: https://www.bam-kamakura.com

■お問い合わせは下記までお願いします。

英国アンティーク博物館BAM鎌倉 事業部

担当 森本

住所:〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-11-4-1

TEL:0467-84-8689

E-mail: info@kamakura-uk.com