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「Hello 鎌倉」その2. 鎌倉七口の一、朝夷奈切通(鎌倉ガイド協会 × BAM鎌倉)

【こちらのブログは英国アンティーク博物館と鎌倉ガイド協会がコラボして作成します。】

鎌倉ガイド協会は源頼朝が鎌倉の地に幕府を開いてからの歴史を基に、寺社や史跡の数々を多くの方々にご案内しております。三方を山に囲まれ、一方を海に開いた古都鎌倉。歴史散歩、寺社めぐり、ハイキング、季節の花観賞、マリンスポーツ、旬の鎌倉野菜やシラス等地元食材を使ったグルメ。四季を通じて多くの方々に愛される鎌倉ですが、鎌倉をよりお楽しみいただけるよう、「Hello 鎌倉」その2として鎌倉ガイド協会が今月ご紹介するのは、鎌倉市の東、十二所と横浜市金沢区朝比奈町に跨って位置する鎌倉七口の一、朝夷奈切通です。

朝夷奈(あさいな)切通(きりどおし)の伝説】 

鎌倉は三方を山で囲まれて南は海です。防御上は大変有利な地形ですが、通行や物資の運搬には不便です。そこで山の稜線を切り開いて道を造ったのが“切通”で鎌倉には七口あります。その一つ、鎌倉と六浦(むつうら)を結ぶのが“朝夷奈切通”です。『吾妻鏡』の仁治2年(1241)5月14日条に執権北条泰時が自ら馬で土石を運んだと記されています。幕府がこの切通を重要視していたことが分かります。鎌倉には、現存する日本最古の築港としての和賀江嶋がありますが、波は荒く、荷上げ等は浪の穏やかな六浦港が主に使用されていたようです。
この道は「塩の道」とも呼ばれます。六浦の対岸の房総半島は塩田が早くから開けており、また千葉一族等がいて重要な地理的な条件を備えていました。十二所(じゅうにそ)の「光触寺(こうそくじ)」境内には「塩嘗(しおなめ)地蔵」が祀られています。

六浦の塩商人が鎌倉に売りに来る度に、このお地蔵さんに塩を供えて、商いを終えて帰り道にお地蔵さんの前を通ると供えた塩がいつも無くなっていました。お地蔵さんが塩を嘗めたというのです。これは、六浦が製塩の地であったことが分かります。
この切通は、源頼朝の御家人・和田義盛の三男で豪傑の朝比奈三郎義秀が一夜にして切開いたとの伝説があり名前の由来になっています。国史跡としての名称が“朝夷奈”で通称は朝比奈です。義秀は和田一族の所領安房郡朝夷郡(現千葉県)で育ったので朝比奈を名乗っています。切通の途中には義秀ゆかりの“三郎の滝”が流れていて、三郎義秀に因んで名付けられたといわれます。

切通を鎌倉口から入ると左手の岩肌から水が湧き出ています。梶原景時は寿永2年(1183)頼朝の命で上総介広常を討ち、この水で太刀の血のりを洗い流したので“梶原太刀洗水(かじわらたちあらいみず)”(かじわらたちあらいみず)と呼ばれます。


切通しの道端に現存する庚申塔や道祖神の記銘により、江戸時代末期に度々、切通しの補修が行なわれていたことがわかります。


アクセス

   
JR鎌倉駅から
東口5番バス乗り場から京浜急行バス(鎌23系統、鎌24系統)「十二所神社」バス停下車 徒歩10分ほど。
京浜急行金沢八景駅から
神奈川中央交通バス1番乗り場から(船08系統、金24系統、金25系統)、もしくは京浜急行バス2番乗り場から(鎌24系統)で「朝比奈」バス停下車 徒歩5分ほど。
 
鎌倉ガイド協会は、月3コースの企画ガイド「史跡めぐり」をはじめとし、休日散歩、個別、学校、旅行社、英語ガイド等で、お客様に日本遺産のまち鎌倉と歴史的に関係の深い神奈川県内の史跡をご案内しております。
 
この秋11月には、「暮秋静寂の朝夷奈切通から金沢八景へ」の一日コースを実施します。ご参加をお待ちしております。
鎌倉ガイド協会公式ホームページ:https://www.kcn-net.org/guide/
*ブログで使用しました「塩嘗地蔵」の画像については、光触寺様の掲載許可をいただいています。